大切なマイミクさん
2007/07/01 日mixiで全然知らない人の足跡が付いているのを辿ってみると、よく紹介文に
関係:マイミク
紹介文:大切なマイミクさんです☆
と書かれている人がいる。
それも一人や二人でなく、ついている紹介分のほとんどに全く情報価値がない。
この人とマイミクになれて幸せです☆とか
素晴らしいお友達です!とか全米が震撼するほど大絶賛してるんだけど
その紹介文から読み取れる人物情報の希薄さとのギャップがたまらない!
その希薄さを中和しようと可愛い顔文字を必死に盛り込んでいる辺りが泣ける。
一行の感動巨編である。
ちなみにこういう人は大抵自己紹介の欄に胡散臭いURLが貼ってある。(でも今日は業者センサーはオフだよ)
敢えて大切なマイミクさんと言うことは、きっと大切じゃないマイミクさんもいるんだろう。
人付き合いって残酷!
そもそも、このマイミクって言う人間関係ってなんだろう。
紹介文を書いてる時点でマイミクを結んでいることは言うまでもないことで、
「おいら、今呼吸してます!」
って凄いハイテンションで言っているのと何だかクリソツ。
拭い切れないモリモリの違和感である。
紹介文ってのはその人のアイデンティティを書くもので、
アイデンティティってのはスーパークラスからの独立成分なんだから、
紹介文を読んでその人の特徴量が得られなくちゃおかしいったらおかしいんだ。
要は、「大切なマイミクさん」は紹介文になっていないにも関わらず、
紹介文として書かれている背景を考えないといけないんだ。
①その人の特徴量に公に発表できない内容が含まれている。
②紹介文を書く人がその人の特徴量を書く気がない。
③紹介文を書く人がその人の特徴量をよく知らない。
④その人に特徴量がない。(純スーパークラス)
つまり、言いかえれば
①この人、日のあたる道を歩けない人なんです。
②全然紹介する気ないっすwwwwwサーセンwwww
③むしろ俺が紹介してほしいぜ!wwww
④この人は、人間であること以外に個性がありません!
なんだ、「大切なマイミクさん」って多少は紹介文としての機能を果たしてるじゃないか。