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それってどうして?

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小さい頃、とにかく理科が大好きで、先生が教えてくれる色んな事に「どうして?それってどうして?」と質問しまくったところ、ついに先生がブチ切れて「何でとかじゃなくてそういうものなの!」とサジを投げられてしまいました。
そういうものだって言う答えにおいらは酷くがっかりしました。
何でそういうものなのかわからない!わからない事は知りたい!
それでも知っている限り何でも教えてくれる理科の先生はとても良い先生だったと思います。

話は変わって数日前に、友達から政治と宗教と野球の話はするなと言う格言を聞いてから、歯がゆい毎日を過ごしています。
だって政治が腐ってるとか胡散臭い宗教の話とか面白いじゃないですか。
野球はどうでもいいけど。

何でだめなのかと思ってGoogle先生に聞いてみたら、皆それぞれの異なる信念に関する事だから話題が荒れやすいので避けましょうネって言う事らしいですね。
なんだ、全然大したことないよ!荒れれば良いじゃない!
ファッキン処世術!!

「いやー、良い天気ですねー」とかテンプレート通りの場つなぎ会話より100万倍ましだよ!
「昨日のあいのり見ました?」とか振られるよりダライ・ラマについて熱く語ってもらった方が退屈しない。

そもそも宗教って何だよ!何でそんなの信じてるの?
理解出来ない故に凄く気になる!知りたい!
宗教の教えって「神様はいるんだ!」とか、「死んだら天国に行くんだ!」とか、そういう考えを「世界とはそういうもの」と無条件に信じ込む事でなりたってますよね。
根幹からしてまったくもって科学的じゃない、ナンセンス!
死んだら骨と灰になって無機物に戻るんだよ!

科学って奴は「その公式ってどうしてそうなるの?どうしてどうして?」っていう疑問を突き詰めると、公理ってものにたどり着きます。
例えば、平面幾何では(平面上に書いた)二本の平行な直線はどこまで伸ばしても交わらない、と言う公理があります。
うん、常識的に考えてその通りだ、間違いない!こいつは明らかに正しいよ!
でも、それってどうして?と言っても、世界はそういうもんなんだからそう覚えろ!と怒られます(経験談)

理系の人は大学に入ってから非ユークリッド幾何というものを習います。…たぶん。
それは、さっきあげた二本の平行線は交わらないって言う公理をぶち壊した考え方から始まるファンキーな数学です。
そんな、平行線が交わるなんて!!ナンセンス!
でも、聞くからにありえないこの公理も、やってみると実はこの非ユークリッド幾何の方が現実に近い事がわかったりして、公理が本当に世界の真実を映しているかどうかはわからないみたいです。
だって、公理なんて人間が勝手に決めた事だし。

そういえば高校で習う虚数とかもそうですね。
√-1なんてどう考えてもあり得ない。
二乗したら-1になる数字なんてナンセンス!
でも、それをあり得ると仮定しても、別に矛盾なく綺麗な公式を作ることはできますし、それを使う事で効率よく計算できています。

そうしたら結局何を公理とするかって、ただの主観的判断に過ぎないんじゃないかと思えてきます。
科学も宗教も、世界を捉えるためのただの道具なんじゃないか。
それなら世界を捉えるって言う役割が果たせれば、正しいとか間違ってるとかは実はどうでもいいんじゃないのか?

考えてみればなにも科学と宗教に限ったことではなくて、おいら達の人格とか、考え方とか、物の見方、センス、考えるって言う全ての知能活動も同じじゃないですか。
みんなそれぞれの無条件に信じ込んでいる何らかの信念をもとに思考しているんだから、何をテーマにして会話をしても衝突する時は衝突するんだ。

だから「俺はあいのりなんて見ねぇ!ファック!」なんて事になった日には、退屈した上に衝突すると言う目も当てられない結果になってしまう訳ですから、衝突が怖いなら会話自体をあきらめるしかないんだ。
だからおいらが家にこもるのはとても平和的で優しいことなんだよ!

コメント / トラックバック 2 件

  1. sin16

    たぶん、「この世界に神はいない」のは事実です。
    白い服着て杖をついて、ニコニコよぼよぼの何でもできる神様とか、
    後光さしまくりの威厳あるマッチョとか、スキンヘッドの細い目の方とか、
    どんな方であっても、世の人が信じている超常の力をもつ神様が本当にいるなら、
    この世の中でココまで不公平で理不尽でむちゃくちゃなことはお許しにならないと
    思います。ビバ、人間の想像力。

    ただ、たとえば10億年前に有機物同士の結合が勝手に増殖・分裂をはじめる確率とか、
    適者生存の法則でありながら何をどうとち狂ったら地を這う芋虫が凝固して固まったと
    思ったら空を羽ばたく蝶になるような変身形態獲得してしまう異常さという偶然に、
    人知をこえた「何か」を感じる心をもつのは悪くないのではないかと思います。

    ガチ文系なので数学の世界はよくわかりませんが、たとえば、「0」という概念で
    世界が広がり、負の数という見えない概念で第1象限だった世界が4倍に広がり、
    さらには虚数を与えてくれることで「実数軸」という直線しかなかった世界に
    「虚数軸」ともいうべき座標を与えることで世界を広げることができたこの世界の
    法則の美しさ、などを感じることは悪いことではないかも、と思います。
    #虚数についてはアシモフの受け売りで私は理解できていないですけれど。

    「なぜ?」の問いの行き着く先にある「それがこの世界の前提だから、仕方ねえな」の
    部分に「人知を超えた何か」を見る人もいれば、
    「極限まで突き詰めた先にある合理的な法則の発見」を通して、「美しい何か」を
    感じる人もいると思います。

    そういう「何か」に対して「神」という固有名詞を与えている人がいる、と考えると
    それほど違和感を感じない気がするんですよね。

    私は、理屈では神仏の存在を信じていませんが、それを創造した(捏造した)人間の叡智を
    信じて、毎日仏壇に手を合わせています。

    「サンタクロースはいない、と知ることが大人になることじゃないんだ。
     『オレがサンタクロースだ!』と気づいたときが、本当の大人なのさ。」

       という風に、長いレスが帰ってくるのが怖くて、自分のサイトでは宗教の話しをしないsin

  2. ALPHA CORE

    科学的には神様はいないと言えると思いますが、事実を追及するとなると、科学の前提そのものが正しいかどうかわからないわけですから、神様はいるかいないかわからないと答えざるを得ないような気もします。
    ニュートンが見つけた万有引力も、どうして万有引力があるのかはよくわかっていないそうです。
    それが科学の基礎として認められているのも、単に「これまでがそうだったみたいだから!」というだけで、これからも万有引力が働き続けるかどうかは今の科学では知り得ないそうな…
    もしかしたら、ある日突然万有引力がひっくり返って、あらゆるものが浮かび上がって、木っ端微塵の粒子になってしまう事も、無いとは言い切れない!!
    それと同じように、ある日突然よぼよぼの爺さんがどこからともなく現れて、
    「おっす!オラ、神!今日で宇宙終了なんでよろしく(^^)v」
    とか言っていきなり世界が終わることも、絶対無いとは言い切れない!?

    一方で、
    「神なんているかいないかわからない!」
    「科学なんて正しいかどうかわからない!」
    こういった哲学的な結論って確かに正しいですが何の役にも立たないんですよね。
    それだったらまだ、
    「もしかしたら間違っているかもしれないけど、科学的に考えるとこうすれば問題が解決するかもよ!」
    とか教えてくれる科学の方が役に立ちますし、もっといえば、
    「そもそもそんなもの問題でも何でもなかったんだよ!ドーーーーン」
    と言ってくれる宗教を信じる方が、ある意味では合理的で本質的なんじゃないか…って考える事も出来ます。

    世界を箱に例えるなら、
    箱の中で生活している限り、箱の中のすべてを見渡せても、箱の外がどうなっているかは推測や想像でしか語る事が出来ませんし、箱の外の現象が箱の中に影響を及ぼさないと言い切れない限り、箱の中の事だって完璧に知ることはやっぱり出来ないんだと思います。
    科学と宗教の違いって、どこを箱の境界にするか?と、その箱の外を未知と呼ぶか、神様と呼ぶかの違いでしかなくて、この辺りはsinさんと同じ解釈になると思います。
    そうすると、科学や未知の神秘(箱の境界)が与えてくれる美しさって、人間による世界の解釈の美しさと同じなんだなぁと思います。
    逆にいえば法則の美しさも、箱の境界を勝手に決めた人間次第と言えるのかも…
    そう考えると、数学的な美しさも一般的な芸術と同じなのかもしれないですね。

    > 「サンタクロースはいない、と知ることが大人になることじゃないんだ。
    >  『オレがサンタクロースだ!』と気づいたときが、本当の大人なのさ。」

    これ良い言葉ですね、今度サンタを否定されたら使ってみます!

    おいらが長文があまり怖くないのはきっと時間が有り余ってるせいですw

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